2011年03月10日

今を大切に生きる


昨日の「尊厳死」についての記事は・・・友人のブログでも取り上げて

共感してくれたけど・・・やはり、同業者だから、そう思うのか?


死と言うものについて、目を背ける・・という事ではなく 

今を大切に生きる・・という事なんだと。

生に対する執着心は誰でもあるし、たとえ自殺願望の人であっても

その原因を取り除けば、生への気持ちは高まり、希望も見えてくるはず。


今という時間が、素晴らしいと思っている人も、そうでない人も

未来の時間は、もっと有意義で楽しく 輝いているかも知れない。

そう思えるからこそ、生きる事に懸命になる。


しかし、世の中には様々な形で 大切な命をなくしてしまう人も多い。

脳卒中、心筋梗塞、そして死因でトップになった がんなどの病気

ニュースでも頻繁に聞く、交通事故 不慮の事故 大地震、火事

そして殺人など 世界的に見れば飢餓や戦争なども・・・


同じ命と考えるのならば、どの命も同じように重い。

宣告されてから残された日々を「尊厳を持って」生きられるのは

この中では、がんだけかも知れない。


闘病記を読んで感銘を受け、自分自身の生きる糧・・と学ばせていただく。

だからこそ、今・・この生きている今を 大切に生きるんだと。

くよくよ悩んだり、自暴自棄になる事だって、たまには有るだろう

でも、心根に・・その事をしっかり持っていてほしい。

誰でも知っている事・・今と言う時間は、もう2度と訪れないんだという事。


亡くなられる方は

「この世に産まれたならば、必ずこうして亡くなって行かねばならない」と

自分自身の身をもって、教えてくれる。

自分の身近な人だからこそ、伝わり度合いが大きい。


仏教の教えでは「無常」という・・。情けが無いという意味の「無情」ではない

常というのは、変わらない事・・無常とは、変わってしまう事。

若い人も、いずれは年をとっていく、元気だった人も、いずれは病気になってしまう。


そういう事実が分かっているのだから、今を大切に・・と、残された者に

教示を下さるものが、仏教であり信心なのだろうと思う。

中には「故人が、安心して浄土に行けるように」と、お祓いのように

お坊様にお勤めいただくと思っている方も、いる事だろうと思うが・・・。

神道の場合は、死は穢れであり、お祓いをして、清めなければならないけど。

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