今日は、ほぼ同時刻に本社「あじさいホール」と
「南よこいち会館」で、葬儀が執り行われました。
私は本社で司会を務めましたが、友人のご家族です。
おばあちゃんが亡くなられたんだけど
経歴をお聞きして、驚くやら、尊敬するやら・・

大正3年生まれの、亨年99歳です。
結婚したのが20歳の頃、時は日本中が
戦争と言う激動の時代で、結婚して長男を出産し
その後すぐに、ご主人を戦争で亡くした。
なのでご長男は、昭和初期生まれには珍しく、一人っ子です。
その後は、大変なご苦労をされましたが
感動したのは、人の為に出来る事を・・・と
保健婦の国家資格を取り、看護師として助産婦として
70歳半ばまで、現役で赤ちゃんを取り上げられたそうです。
取り上げた総数は・・なんと2.500人以上。
戦後の食糧難の時は、近所の方々に自分の食料を配り
お産の時は、真夜中でも幼い息子を自転車の後ろに乗せ
妊婦さんの元に駆けつけました。
当時、大流行した伝染病の時は、不足した医者の代わりに
身を粉にして働き、多くの患者さんを救いました。
眠気覚ましに、お茶の葉を噛んで、食事もそこそこに
お茶漬けをすすりながら、懸命に尽くされました。
そして、一段落すると
畑に出て、農作業に汗を流すという日々でした。
「人の為に尽くしなさい」と言うのが口癖だったそうです。
子供、孫、ひ孫・・みんな立派に成長し
安心されたのか、ご主人の待つお浄土へ還って逝かれました。
お別れに、ひ孫さんが・・お手紙を読まれましたが
友人の娘さんです・・・はっきりと、ゆっくりと
いかに大切にされていたのか・・・大ばあちゃんへの想いを。
そして、結婚式を見せられなくてゴメンね。
玄孫を見せたかった・・・と、綴られていました。

担当は、当社のパワフルな男「修行くん」です。
平山君と同じく、山田会館がテリトリー地域なので
本社で担当をしたのは、2度目だという事ですが
丁寧な仕事振りは、お客様アンケートでも分かります。
お客様が帰られる際に、わざわざ事務所内にまで
お越しいただき、お礼と感謝の言葉を頂きました。
本当にありがたいと思います。
大きいおばあちゃんの、お葬式の時は・・・と思い出され
お客様の記憶に残る、良い仕事が出来たらと思います。
