さすがに・・昨日のブログで宗教者の事を書いたら
早速反応が・・
「はっきり書きなさい!」だと Σ(・口・)エッ
ととと、とんでもない・・・さすがにそれは・・
というか・・以前から
ネット上には、そういう情報がたくさんアップされています。
そして、葬儀業界ではバイブルと言われる物の中にも・・
-----------------------------
タイトル「高慢な僧侶は生き残れるか?」
僧侶の集まりに招かれた時のことである。
「最近は遺族が直接挨拶にこないで
葬儀社が代わりに挨拶にくる」
と憤慨していた。
私は、それは違うと思ったから
「なぜ僧侶であるあなたが遺族のもとに行かないのですか?」
と、反論した。
その僧侶は遺族の礼儀知らずに対して
憤っていたのだが、僧侶が権威であるべきという姿勢に
私は腹を立てたのである。
悲嘆にある遺族に自ら関係しようとしないのか。
葬式を「やってやる」という上からの目線に
我慢できなかったのである。
・
・
・・・と・・・
まだまだ続くが、そういう僧侶ばかりではない・・はず
私の知る僧侶の中には、本当に師と呼びたくなる方も
何人かは居られる。
お寺は、お寺の維持管理費(門徒料)を門徒の方々に
定期的に納めて頂いている。
そして、お寺の大修理の際は多額の建設費がかかるため
特別に寄付金として、特別懇志などの名目で
各門徒に、通常の維持費とは別に、寄付の依頼が来る。
金額は過去の例だと、1件当たり数万円から数十万円
という事は、門徒の皆さんが居なかったら・・お寺の
存続も出来ない・・という事なんだが
先述の、とある方のレポートに有るような僧侶が多い。
そして葬儀、お通夜、法事・・その他全てに
お布施と言う謝礼(謝礼と言うと怒られるが・・)実費がかかる。
なので・・・門徒は
お寺を支えて下さっている、ありがたい方々なのだ。
はたして・・そのように思っている僧侶(主に住職)が
どのくらいいるのか?
この葬儀業界に関わっている者は、みんな知っていると思うが
しかし・・パンドラの箱

そして・・・このような記事も有る
最近は、宗教離れが進んでいる。
統計によると、日本人で特定の宗教を信じる人の割合は
およそ23%と言われる。非常に少ない数字である。
新しい葬儀形態として盛んに言われるのが無宗教葬である。
特にこの流れは社葬において顕著である。
社葬ほど「お別れ会」が普及しているわけではないが
個人葬でも見られる。
現状では、人気はあるが普及は今一つである。
だが後10年もすれば、戦前世代の高齢者が姿を消していき
戦後生まれの団塊を中心とした高齢者群が増えることにより
大きく幅を利かせるようになるかもしれない。