2011年06月14日

都城七夕祭り実行委員会


昨夜は、七夕祭りの実行委員会でした。

時間が取れるようになったので、久々の参加です。


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子供の頃は、親に連れられて・・都城大丸に行く事と、この祭りを見る事が

高崎の田舎に住んでいた自分たちの、夏場の大きな楽しみだった。


今は、時代も変わり・・・

大丸は無くなり、七夕祭りも年を追うごとに規模が小さくなった。

自分が参加し始めたのは、2000年に「ウエルネス音楽祭」を立ち上げた時・・。


高崎で遊学塾というイベント団体を作り「星降る街のコンサート」を開催し

その後、ミレニアムの年に・・・都城で音楽祭を・・・という

都城市から打診が有り、都城市内の中央通りに「実行委員会事務所」を設置した。


音楽祭は、プロドラマーのトシ・ナガイさんと、和太鼓の響座という

和と洋のドラムパフォーマンスライブ

約2ヶ月間の実行委員会活動の中で、近所で開催されていた「千日通り七夕祭り」の

助っ人として・・・音楽祭メンバーも手伝う事になったのが

最初のキッカケでもある。

約130名の実行委員がいたので、助っ人パワーは大きく・・沈滞化しそうな祭りが

千日通りの人たちと共に、大いに盛り上げる事が出来た。


あれから、11年も経つんだなー

でも今でも、トシさんや響座の岩切さんたちとの交流は続き

千日通りの人たちとも、交流は続いている。

その後、ウエルネス音楽祭は解散したけど、主要メンバーは今でも

七夕祭りを実行委員として、お手伝いしている。


11年の時の流れは、様々なモノを変えてしまった。

千日通りは、唯一の物だった「アーケード」が老朽化で撤去され

昼間の明るさは戻ってきたが、雨天時のイベント開催が出来なくなった。

一長一短有るけど・・・やはり、アーケードは必需品だと思う。



郊外型の大型店舗SCができてから・・・市内のあらゆる商店が

シャッターを下ろした。

千日通りは特に、古くからの小さな商店が集まっていたので

その速度は、早かった。

もちろん、大丸も頑張って営業してきたんだけど

中央通りが、シャッター通りになるにつれ、客足が遠のき

とうとう、今年1月に閉店してしまった。


実行委員をしていて、不満はある

肝心の地元商店主が、一部の人しか協力してくれないのだ。

やっても無駄・・・と、祭りに否定的な意見も出される。


しかし何もしないでいたら、このまま忘れ去られてしまうのは間違いない。

1年の・・たった3日間、みんなで力を合わせて盛り上げる事が出来たら

千日通りや中央通りの活性化に、つなげる事が出来ると思う。

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