2010年01月02日

創業31年目に・・・C

母は、近所の料理屋さんに 生活費を稼ぐために、働きに行き

私は、仕事を習得するために、宮崎市内まで勉強に行き

姉は、みんなが不在の時に、電話番をしてくれました。

その後、看板を掲げ、事業をスタートしたものの・・・・・

何の反応もなく、1か月が過ぎました。

今、考えると・・・当たり前です。

葬儀屋として何の信用もない、実績もない まして全くの異業種から

町に無い業種だから、依頼が来るだろうと・・・・勝手に

予測して、始めた事業です。

お葬式という大切な 儀式の事・・・本質を理解していなかった。

お通夜が終わり、葬儀が終わり、火葬が終われば・・それで

仕事として、完結すると 勝手に勘違いしていた。
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創業31年目に・・・B

私は、私で とまどいも有りながら・・・

「こりゃ、大変だぞ」と、思いながらも

チャレンジャーなので「出来るところまで頑張る」と

決心したのです。

しかし、お葬式なんて ばあちゃんのお葬式を 経験したくらいで

何も分かりません。

そこで、前のブログにも書いたように

宮崎県内で一番評価の高かった「ふじもと美誠堂」の 門をたたきました。
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創業31年目に・・・A

その時私は、21歳になったばかりでした。

挨拶すら ろくに出来ない若造に 

作法の羅列のような儀式 「お葬式」 を取り仕切る仕事を・・・

父の仕事を手伝うかな・・・そんな気持ちで帰ってきたのですが

困った事に、借りたお金は 返さなければなりません。

事務所、倉庫、トラック、高額な葬儀用の特殊な品々・・・

父は、その借金を返すために

出稼ぎに 行かなければならなくなったのです。
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創業31年目に・・・

1979年の1月13日に、開業しましたから

創業して31年になります。

その頃、父は建設関係(左官)の仕事をしていました。

当時(昭和54年頃)は 都会の大手建設業、○○ハウスとかが

地方に、どんどん台頭してきた時代でした。

左官として、職人としての仕事ぶりは地域の方々から 大いに

認められていましたが

時代の変化とともに、作り方も変化し、また1級の職人でなくても

ユニットバスのような、便利な物も登場し、仕事は激減しました。

新たな仕事を模索するうちに、ある事がきっかけで、葬祭業を

始める事になったのです。

全くの ど素人がお金もなく 新事業を始めようというのですから

当時、父は 大変だったと思います。

銀行から8桁の お金を借りるというのは、今でも大変ですが

当時、担保もなく 保証人だけが頼りの借金でした。

また、人を雇う事は出来ませんから、その頃、東京にいた私が

呼び戻されました。

その頃の私は、気に入った仕事があり、東京での生活にも

慣れて、帰る予定はなかったのですが、親の言う事を聞くのが

子供ですから、意を決して帰ってきました。

まさか、自分が葬儀の修行をして 開業するなど、夢にも思わず・・

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